終戦直後の1945年10月、京都府舞鶴市内の寺に疎開していた小学生たちと引率教師が洪水に襲われ、かろうじて脱出した。その日のことは紙芝居になり、各地で上演されている。7月にあった上演会には、96歳になる教師と教え子らが出席。当時を振り返った。
洪水に遭ったのは、現在の市立明倫小学校の3~6年生46人と、当時20歳の新任訓導(今の教諭)で、子どもたちを引率した荒木花子さん。
荒木さんらは終戦間際の45年8月から、同市桑飼上の由良川沿いにある荘厳寺に疎開していた。米軍の空襲から逃れるためだ。だが戦争が終わっても、混乱状態が続き、すぐには家に帰れなかった。
洪水が起きたのは、家族に会えない寂しい生活が続いていた10月7日。大雨の影響で由良川が氾濫(はんらん)し、寺の境内に水が押し寄せてきたのだ。
「子どもらが濁流に落ちたら、私も生きていられない」
子どもたちは寺の2階に逃れ…
この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。
残り:675文字/全文:1070文字
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル